COYAMA

築48年の印刷工場をセルフリノベーションし、本とコーヒーとアートを楽しめるお店をつくりました。

意味があるかもしれないし、ないかもしれない話

寝る前、歯磨きをしながらTVをぼんやり見ていたらマツコDさんが

「わたしたちはすぐに意味を求めたがってしまうのよね。別に意味なんてなくていいのよ。」と言っていた。

最近「子どもが描いた絵に対して「何を描いたのかな?」なんて聞いたらダメ。そこで立ち止まって自由にできなくなる」という話などを目にして「意味なんてない」と言ってもいいんだよ、見栄なんてはらないでいいんだよ、という空気を感じる。

もはや意味がある事が前提すぎて、意味はないです というコメントをするだけで笑いが一つとれるほどだ。

作品を作る事に関しては、デザインを生業とする身からすると意味ない物など提案は1000%できないため芸術とデザインは近いようで一番遠い位置にあるものだと改めて感じる。個人的には意味のない芸術は芸術なのか?とも思うけど、子どもの成長に関することとそれとはまた別なのだろう。

 

意味、意義あることを重ねてきたつもりでいたが、あらゆる決断の岐路に立つ度に今まで考えてきたことに意味なんてなかったなと思う時がある。

本とコーヒーと展示のある店、しかも祖父母の家を使わせてもらってやってるなんて意味しかないように感じられるし自分もあれこれいろんな意味を心の中に抱えて過ごしている。実際、家でぐつぐつ考える用のノートにはめちゃくちゃそれっぽいことが書き出されている。

それでも改めてなんでこれ始めたんだ?と考えると「え…単にやってみたかっただけ…」なんだよな。

罹災した後の取材でも「今後はどうしていきたいか」と聞かれる度に「〇〇ために頑張りたい」とか言ったほうがいいんだろうなぁ…と思いつつ1年経った今も「なんもわかりません」と気の利かない回答をしてしまう。

取材を受けた日の夜はだいたいシャワーを浴びながら「うわ〜もっとこう言えばよかった〜〜」と独り言を叫んでいます。

 

もっと言うと人が生きてる意味が解明されてないのに(哲学界ではされてるのかもしれないが)それより解明する価値の低い私のやりたいことの意味意義なんて必要ないじゃないかと思う事がよくある。それは単に誰かに説明できるように、変に思われないように準備している気持ちの整理整頓であり、世界に自分一人しかいないのであればそんな意味の見い出しは不要である。

それでも常日ごろに思うわけでもなく、意義があることで「うおー!やったるでー」ということも勿論あるのでそのモチベーション維持には必要なことなのかもしれない。

 

あった方がいい今すぐZINEでも作りたいと思う日もあれば、なくたっていいとりあえず帰って韓国ドラマ観ようという日もある。

 

以上

今年、本厄だったわ

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自営業のCOYAMAは太い柱が1本あるのではなく、細い柱をいくつか立ててもたせています。
実店舗の営業は週末と水曜日だけなので、たまに「優雅だねえ〜」と言われるのですが、平日は家で朝から晩までデザイン業務を行っているので、個人的な休みは祝日のみの優雅とはまったくの逆の状態です。(お客さんにはそんなの関係ないですけどね)


店舗開業時には始めにいくらまで、と設定しそれを超えたらやめると決めていました。運転資金がほとんどない代わりに、オープンから3年くらいは平日に行っているデザイン業務で生計を立てようと考えていました。実際オープンしてからは飲食・書籍・ギャラリーの売り上げから経費を引いてある程度プラスは出ていますが、週末のみということもあり店舗1本で生活していけるほどではありません。

平日の業務内容は空間・ディスプレイデザインをメインとしており、展示会やイベントがほとんどを占めています。展示会やイベント、そしてお店というのは人と人がコミュニケーションをとって初めて収入につながる業種です。つまり、新型コロナの影響を受けに受けまくり、平日も週末もほぼ仕事がなくなってしまいました。

 

もともと今年はオリンピックの影響でいつも使用している会場が使用できなくなると何年も前から知らされていて、それをきっかけに社会情勢が真っ先に反映される業界で、「個人の自分はもう少し別の柱をたてておかないといけないかもしれない」と考え続けてきました。それもお店を育てる3年のうちにゆっくり考えていこうと思っていた矢先、この事態によりオリンピックは延期、来年予定されていた展示会などは再び強制的に潰されることとなり、途方も無い損失が出ることとなります。(日本展示会協会によると約1.5兆円…兆…円…。支援してくれという嘆願書は出しているようだが、どうなるか不明)そうなると、一人こじんまりやっている私などどうしようもなくなります。


以前からCOYAMAの店舗とデザイン業務を結びつけたいなとは考えていたのですが具体的な考えは進んでいませんでした。
でもここへ来て嫌が応にも進めていかないといけないことに、気づきたくないけど気づくことにしました。

ECサイトも少し考えた時期はあったのですが、やっぱり自分は「場をつくる」ことにまず集中したいという考えに今は再び戻りました。それは今のこの状況を受けても変わりません。(関係者の方には、申し訳ないという気持ちです)

本屋として飲食店としてギャラリーとしてそれぞれに自信を持ってはいますが、全てをセットで考えた時のベストがこの状態なので、1つだけ独立させるつもりが今はないのです。

 

2019年5月1日にCOYAMAとしてお店をオープンしましたが、1年前はまさかオープンして半年のうちに浸水被害で半壊になり、再開したと思ったら感染症で緊急事態宣言が出されようだなんて0.1mmたりとも想像しませんでした。

「何が起こるか分からない」「何が起こっても大丈夫なように準備をしておく」が急務なんだよ!と頬を往復ビンタされ続けている気分です。それをウンウン考えてはいるのですが、一向に答えが出ない。答えが出ないこれって、「そんな道を選んだ自分のせい」になるんだろうか?

自分の健康と生活と、協力してくれる方々と、そしてお客さんと、たくさんの気持ちのせめぎあいを考えに考えまくって、小さい店の小さい心臓の個人事業主が目に見えない不安で圧死しそうです。

台風から1ヶ月

今回の台風19号でお店が被災しました。

その時の記憶と思い出話と今の気持ちを書きます。

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2018年8月設計開始

2018年12月解体、施工開始

2019年5月1日オープン

2019年10月12日 床上浸水

 

おい!早すぎるでしょうが!

まだ半年も経ってないよ。

 

近隣のお店は今月の頭あたりから再開していて凄いの一言ですが、

すぐ隣の家はまだ災害ごみが山盛りという光景になんとも言えない気持ちになります。

 

翌日の午後には水が引いていて、周囲はドロだらけ、普段見た事ない近隣の方々の数

駆け足で店内を確認すると椅子や冷蔵庫がひっくり返ったり、廃墟状態。

でも予想に反して、すうー…っと引いていったのであろう泥水が台風一過の西陽に照らされ、床はニスびきされたようにとても綺麗に感じました。

染みを測ると床上から70cm浸水したようでした。

 

すぐに近所の友達が駆けつけてくれてその日中に床上のドロ水は掻き出せました。

そして翌日には母、父、叔父さんが手伝いにきてくれました。

 

叔父さんは、まず私が小山の家を借りて住む事そしてお店を始める事に対して複雑な気持ちだったと思います。(たくさんいる親戚のうち、私だけが借りるわけなので)

母は決まってからは応援をしてくれていましたが、最初はもう真っ向から全て反対!という感じでした。

また、改装を行っていく中で自分の慣れ親しんだ古い道具や家具を私がディスプレイとして置いておこうとするのは本当に理解不能で不思議な感覚だったみたいです。

 

水害の片付けというのは見た目の汚さというより汚染という意味合いでぜェ〜んぶ捨てちゃう!って決めるのが一番早いし楽です。見た目が綺麗になっても消毒をしなければならないので倍以上の手間がかかります。

その判断は私しかできないので、余計に時間がかかります。

今回は小山家で使われてきた物はできるだけ再利用、その他の新しく揃えた物はほとんど廃棄としていました。できるだけ再利用はしたいが、これはいらないんじゃないか?という物の判断を母にたびたび迫られました。

 

そのように一緒に作業していく中で、「あなたのやりたかった事がわかった気がする」と母が言ってくれました。

私は「いまかよ〜」と言いながら、あ、よかった、と素直に思いました。
 

オープン前日に母、父、叔父さん、夫の5人で食事会を開いた時

乾杯直後、その乾杯酒も飲まずに叔父さんは店内をうろうろうろうろ。

うろうろうろうろしながら、涙を流していました。

 

それを母が「なんでだろう、どういう気持ちだったんだろう」とずっと言っていて

そんなもん、自分が住んでたところなんだから、気持ちは共有できるんじゃないの?と私は不思議に思っていました。しかしまあ小山3兄弟はいろいろとありまして(どこの家にもある事柄です)、深く考えすぎて逆に分からなかったみたいですが、今回一緒に作業をしてシンプルに叔父さんの気持ちと私の行動をわかってくれたのでしょう。

私がどういう つもり でやっていこうとしているかまでは、知りえないところだと思うけど「どういう事を考えて行動しているか」は感じてくれたようです。

 

よくインタビューなどでお爺様の名前を受け継ごうとしているのですね…としみじみ言われるのですが、そういうのは全くないです。(でもこういう時はこだわりないのでハイ!そうです!と答える)

小山印刷所って名前が復活できたら面白いだろうな〜とかは考えたりします。

 

古い物とかも、別に大好き!とかではないです。

これ組み合わせたら格好つくやん〜くらい。

既存のものを活かせるのは最上のことだし、もっとこうしたら良くなるだろうなという考えしかなかったです。その「こうしたら」の基準が曖昧でしたが今回の事があって少し固まった気がします。

 

台風をきっかけにより良くなりました!ちゃんちゃん!なんて不謹慎すぎなんですが

それくらいの気持ちで取り掛からないとやってられないというのが本当のところです。

今こそヒグチアイの「彼氏いたって、お金あったって、辛くなることないですか。世界で一番わたしが不幸だって思ってもいいですか。」と歌いたい気分です。

 

おわり

ブックでカフェという形態であること

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ブックカフェ   買いたくない

って組み合わせでまあまあ検索されてるんですよね。

新刊を置く際に悩んだ話です。

そりゃあ、誰も触ってない新品のものと誰かが飲食しながら読んだ本だったら

新品がいいに決まってますよね。

 

このお店の形態で始める際には「古本だけだし、いいか」という考えでした。

(現在扱わせてもらっているZINEはサンプルをいただいていたのでそれを置いてます。)

でもやっぱり、書店に行くと、新刊仕入れたい!という気持ちが強くなります。

古本も新刊もないと作ってみたいコーナーができないということも起こります。

そこで出てくる問題が「どういうルールで本を読んでいただくか」でした。

飲食と本を共にするお店ではそれぞれに答えを持っていることでしょうが

私はわたしなりに考え込みたかったので、自分のお店で答えを出してから色んな形態のお店に行って勉強しようと思っています。

 

さまざまな考えと気持ちがせめぎ合い、頭の中は賛成意見と反対意見が行ったり来たりしました。

お店としては単純に「気にする人は買わなければよいだけ」でも良いのかもしれません。(それを「本屋は覚悟している」と言ってる人がいて、カッケーと思った)

けどもし自分が本を作った時にそういう店に置きたいかといったら「うーん、どうだろう。チョットフクザツ。」と感じ、小さい店の小さいコーナーだけど、そこがお店の全部を表しているようで、めちゃくちゃ引っかかってしまいました。

そこからは頭の整理のためにノートに何度も同じ内容の図と文を書き出しました。

※大前提としてみなさんとても丁寧に扱ってお読みいただいています。

ただお店としての方針を決めておかない事には何かあったとき自分の中で対処ができないと思いこの文章をまとめています。

 

A:古本コーナーと新刊コーナーを分け、なおかつ新刊は飲食禁止

良い点|・本が汚れない

悪い点|・展開したい棚が作れない・期待していたサービスと違うと思われる

気持ち|・ベストな状態を届ける責任がある ・憂いがなくなる

 

これに対する案は

 

B:古本と新刊を自由に並べ、どれでも自由に読める

良い点|・展開したい棚が作れる

悪い点|・古本化する・新品購入したい層は買わない

気持ち|・通常の書店でも多少の傷や汚れはついている

 

これらを、

一番肝心な「中身(本の最大の価値)だけを得て、購入しない」というモヤモヤ感をプラスして天秤にかけると、やっぱりどの理由と比べてもずっしりと重く動かず、つまりAとなりました。  

 

もともとCOYAMAは「読書する空間」に特化したいわけではなく「ヒントを見つけてもらいたい、リフレッシュしてもらいたい」という気持ちがあり、COYAMAでのそのツールは本であり、ギャラリーでありました。

じゃあそれをするためにはゆっくりコーヒーを飲みながら鑑賞してもらおう。

気に入ったなら家にお迎えして生活のプラスにしてほしい。

 

ここからは展望です。

本当は新も古もごっちゃに置いて自由に読んでもらいたい。

その上で100%購入をしてくれるならBでもいいのだ。

でもそれはありえないことなので、Aになるわですよね。

しかしながら実際その条件でも本は売れていて、何故買ってくれたのか考えました。

※COYAMAでは古本価格のものと、古本でも定価(8%安い)のものがあり半々くらいで売れています。

1:汚れがない・汚れを気にしていない

2:古本であると承知している、少し安い

3:購入していない本を飲食しながら読むには抵抗がある

4:COYAMAを気に入ってくれた・わざわざ来たからには何か買っていきたい

でしょうか。

 

選書を除いてお店ができることは4を磨いていくこと。 

COYAMAで購入するということの価値をどれだけ作り上げられるかにかかっているかというのは、どれだけ「良い体験」をしてもらる準備ができるかということですね。

当然の最低限事項ではあるけど、同時に際限のない取り組みにもなるので

少しずつできる事を良い空間、良い体験に反映できればと思います。

そうしたら、Bにできる日がくるかもしれない。

 

少し逸れますが本の体験について、妄想もわわんな話。

 

電子書籍も簡単に販売できたらいいなのになと思います。

本屋も電子書籍仕入れる。そのツール開発なんて、もうされてそうですね。

実際、旅行本などではスマホにダウンロードして閲覧できるものがあって

めちゃくちゃ便利だなと感じました。

旅行に行く前には二人で一緒に話ながら見てわいわい言って、旅行に行く時にはダウンロードだからネットワークも気にせずさくさく。

映画のように「これは映画館で見た方がいい」「これはDVDを買おう」と同じように

この本はリアルブック、この本は電子書籍が適してる、という評価のされ方や売り方が一番消費者ファーストな気がします。

 

いつからかわかりませんが、美術館などの展示物で「体験型」がとても増えたように感じます。(そしてめちゃくちゃ並ぶのでいつも飛ばしてしまう)

モノにお金をかけるより、旅行などの体験を優先させたいという流れみたいですね。

本の「読む以外の体験」って何があるんだろうと考えた時に、工夫を凝らされた絵本が思い浮かびました。

中でも青幻舎のbigbookを知った時の衝撃はすごかったです。

小さいこどもにとっては、もうこれは、世界!世界なんだよな。本の世界に潜っていける、でもしっかり本。

大人サイズも出してほしいぜ。

なので新刊をスタートするときには絶対にこの本を置こうと決めていました。

 

長いこと逸れましたが、

まだまだ物量少ない小さな店ですが、こんな考えでもって選んでいきたいです。

でも、なんかあったらすぐ変えていくスタイルではあります。

 

おわり

BOOK / ROOM

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COYAMAの店名に「BOOK」や「CAFE」、「GALLERY」をつけなかったのは
その人それぞれにお店を勝手にイメージをもってらいたかったからです。その人にとって一番都合の良い覚え方ですね。

カテゴリーをつけた方がすぐに認知されやすいのでしょうが、

限定してしまうとある分野のお客さんの「行ってみたい」の選択肢から除外されてしまうという不安がありました。
それに、今後自分がやりたい事をやる際に踏みとどまるという無駄を生む可能があったからです。

お店をオープンするにあたっては極力わかりやすく始めた方がいいだろうと考え、最初はブックカフェ、次にギャラリー、平日はデザインやってます、という切り離した状態の説明にしました。


こうしておいたことで、これから「ROOM」を追加できました。

「本屋で自由に作業する」って本が買える図書館みたいですね。

オープン時に最後までつけようか迷ったコピーは「ヒントライブラリー」だったこともあり

ライブラリーが合っているかも、とも考えたのですが

今回はBOOKが既存で展開していて、作業だけの人もいれば本目的だけの人もいるので

「水曜日はBOOKとROOM」としました。

 

そして、その次は「DESIGN」や「EVENT」を追加したいと考えています。こちらはまだぼんやり。
追加というと新たに始めるように聞こえますが、最初に生業として始めたのはデザインですから、軸は変わりません。
「デザイン目線でヒントが見つかる場所」として、少しでもお金が動く仕組みを作ろうと考えた結果です。
「お金が動く」という書き方を迷いましたが、やっぱりお金がないと次に楽しんでもらうための準備ができない(&私が生きていけない)ですからね。


あれもやりたいこれもやりたいを土日にギュッとすると無理が出てくるので頭を悩ましていたのですが、「(できる範囲で)平日を使えばいいじゃないか」という単純なことに気づかなかったんですね。

 

本屋で平日の仕事できたら捗るだろうなあやってみたいなあとは思っていましたが

平日なんておもてなしどころじゃないし、そもそも需要あるのか?ないよなー、程度でしたし
あっちこっち、何がしたいの?と感じられてしまうのが一番怖い。

でも、「意外とみなさん自由にやってくれる」と気づいてからはもう逆に、できそうなのに、やってみもしないで、何で一個に絞らなきゃいけないの?というオラつきモードに変わりました。

また、「平日にこの空間を使っていないなんて、もったいない」

と言っていただける事が多かったことも後押しの一つになりました。

 

全部わたしの生活・仕事・趣味として動いている事をつなげただけなので、

個人としては広がれば広がる程まとまっていきます。

それをCOYAMAとして、ひとかたまりのイメージで伝えられるようカバーしてくれるのがデザインだと考えています。 

それでうまくいかなかったら、また変えていけばいいかな、という感じです。

COYAMA行ったらなんかまたやってんだろー、と思ってもらえるように更新し続けたいです。

 

おわり

4年

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川崎経済新聞さんに記事にしていただきました。

https://kawasaki.keizai.biz/headline/714/

 

短い時間でしたが、まとまったお話をするのが初めてだったので

人様に説明できるようになんとなく準備しておいた言葉が全然出てこず焦りました。

ノート何冊にも考えてきたこと実践してきたこと書き溜めたのに、何一つ思い出せず。

(辛い記憶すぐ忘れるので、また同じことを繰り返すタイプ)

今度何か伝える機会があったらすぐ答えられるようにしたい。

 

履歴ざっくり振り返り 

2010-2011 木工、サイン会社の営業

(1ねんしかいないけど、もうつかれた、たいりょくのげんかいだ)

 

2012-2016 デザイン事務所で販促や展示の仕事

(本屋だ、私がやりたいの本屋だ、そしてコーヒーを勉強しよう)

(おばあちゃんの家、武蔵小杉だな。改装して住めるかな?)

 

2016-2017 デザイン制作会社派遣社員 個人事業と両立

(自由時間をつくるためにじわじわと一人になっていく計画)

 

2018-2019 個人事業1本 

(親戚との話し合い、実施に向けての計画ねりねり)

2018.05-実施計画開始、2018.12- 解体作業開始

2019.05 お店オープン

 

今年に入って学んだことは、

・スケジュールは想定の3倍にしておく(人間は風邪をひく)

・徹底して養生シートは貼っておく(人間は塗料をこぼす)

これだけ守れば未来の自分が感謝すると思います。

ふりかえってスタートの話

何事も、ベースの理由1+2つの理由が重なったときに初めてやろう!と決めます。

買い物が分かりやすく

「季節の変わり目、服新調したいな」+「ムッチャカワイイ・・・」「この価格最高」

で、もう迷いなく買います。

 

大きな決断になればなるほど理由が必要です。

今回のお店の場合は始める理由がいくつもありました。

ベースの「自分の好きなものを並べられる場所ほしい」+

1:自分を含めた周りの仲間が店づくりの仕事をしていた

2:デザイン視点で面白そうな本を集めていた

3:今までやりたいことができなかった母が、図書室をつくりたいと言っていた

4:自分で淹れたコーヒーを提供したい

5:設計およびセルフリノベーションができる

6:今まではデザインを納品して終了だったが、その先を経験したい

7:実現できそうな場所があった

 

今まで自分が経験してきたことと、場所、人、にかなり恵まれました。

もうこんだけ揃ったら、逆にやらないという理由がない。

やりたいだけだと時間がかなりかかりますが、

7番があったことでものすごくショートカットできたのだと思います。

自由にできる空間があるのって本当に強いなと実感しました。

 

周りの人にめちゃくちゃ協力してもらってできた場所です。

どんな仕組みで還元できるか、これからどんな面白いことができるか毎日考えています。

私としては始める前から自分だけではなく、友人知人、これから知り合う人

みんなに関わってもらいたいと勝手に思っております。

 

自分が土日に休めるようにするのも

単にアルバイトを募集するのではなく、

生活の基盤をしっかりと持ち、なおかつ本・コーヒー・デザインで何かをやってみたい

そんな人いないかな…とつねづね考えてます。

自分のできる範囲で店づくりとかデザインの仕事とか共有したい。

軌道に乗ったらまた改めて考えてみようと思います。

 

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