COYAMA

築48年の印刷工場をセルフリノベーションし、本とコーヒーとアートを楽しめるお店をつくりました。

台風から1ヶ月

今回の台風19号でお店が被災しました。

その時の記憶と思い出話と今の気持ちを書きます。

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2018年8月設計開始

2018年12月解体、施工開始

2019年5月1日オープン

2019年10月12日 床上浸水

 

おい!早すぎるでしょうが!

まだ半年も経ってないよ。

 

近隣のお店は今月の頭あたりから再開していて凄いの一言ですが、

すぐ隣の家はまだ災害ごみが山盛りという光景になんとも言えない気持ちになります。

 

翌日の午後には水が引いていて、周囲はドロだらけ、普段見た事ない近隣の方々の数

駆け足で店内を確認すると椅子や冷蔵庫がひっくり返ったり、廃墟状態。

でも予想に反して、すうー…っと引いていったのであろう泥水が台風一過の西陽に照らされ、床はニスびきされたようにとても綺麗に感じました。

染みを測ると床上から70cm浸水したようでした。

 

すぐに近所の友達が駆けつけてくれてその日中に床上のドロ水は掻き出せました。

そして翌日には母、父、叔父さんが手伝いにきてくれました。

 

叔父さんは、まず私が小山の家を借りて住む事そしてお店を始める事に対して複雑な気持ちだったと思います。(たくさんいる親戚のうち、私だけが借りるわけなので)

母は決まってからは応援をしてくれていましたが、最初はもう真っ向から全て反対!という感じでした。

また、改装を行っていく中で自分の慣れ親しんだ古い道具や家具を私がディスプレイとして置いておこうとするのは本当に理解不能で不思議な感覚だったみたいです。

 

水害の片付けというのは見た目の汚さというより汚染という意味合いでぜェ〜んぶ捨てちゃう!って決めるのが一番早いし楽です。見た目が綺麗になっても消毒をしなければならないので倍以上の手間がかかります。

その判断は私しかできないので、余計に時間がかかります。

今回は小山家で使われてきた物はできるだけ再利用、その他の新しく揃えた物はほとんど廃棄としていました。できるだけ再利用はしたいが、これはいらないんじゃないか?という物の判断を母にたびたび迫られました。

 

そのように一緒に作業していく中で、「あなたのやりたかった事がわかった気がする」と母が言ってくれました。

私は「いまかよ〜」と言いながら、あ、よかった、と素直に思いました。
 

オープン前日に母、父、叔父さん、夫の5人で食事会を開いた時

乾杯直後、その乾杯酒も飲まずに叔父さんは店内をうろうろうろうろ。

うろうろうろうろしながら、涙を流していました。

 

それを母が「なんでだろう、どういう気持ちだったんだろう」とずっと言っていて

そんなもん、自分が住んでたところなんだから、気持ちは共有できるんじゃないの?と私は不思議に思っていました。しかしまあ小山3兄弟はいろいろとありまして(どこの家にもある事柄です)、深く考えすぎて逆に分からなかったみたいですが、今回一緒に作業をしてシンプルに叔父さんの気持ちと私の行動をわかってくれたのでしょう。

私がどういう つもり でやっていこうとしているかまでは、知りえないところだと思うけど「どういう事を考えて行動しているか」は感じてくれたようです。

 

よくインタビューなどでお爺様の名前を受け継ごうとしているのですね…としみじみ言われるのですが、そういうのは全くないです。(でもこういう時はこだわりないのでハイ!そうです!と答える)

小山印刷所って名前が復活できたら面白いだろうな〜とかは考えたりします。

 

古い物とかも、別に大好き!とかではないです。

これ組み合わせたら格好つくやん〜くらい。

既存のものを活かせるのは最上のことだし、もっとこうしたら良くなるだろうなという考えしかなかったです。その「こうしたら」の基準が曖昧でしたが今回の事があって少し固まった気がします。

 

台風をきっかけにより良くなりました!ちゃんちゃん!なんて不謹慎すぎなんですが

それくらいの気持ちで取り掛からないとやってられないというのが本当のところです。

今こそヒグチアイの「彼氏いたって、お金あったって、辛くなることないですか。世界で一番わたしが不幸だって思ってもいいですか。」と歌いたい気分です。

 

おわり